寄稿のはじめにあたって林先生に聞く(1)
連載:寄稿のはじめにあたって林先生に聞く
編集者注: お読みになられる前に、林先生のプロフィールをご覧になる事をお奨めします。 → 林先生のプロフィール ――まず、先生の医療方針について伺います 私の願いは、患者さんたちが病で倒れず、無事、定年を迎えてほしいことです。そして定年後の人生を、健康長寿で、なんとか人生を全うしてもらいたい。そのお手伝いをするころばぬ先の杖、この杖の役割が私の医療なんです。 医師は患者さんからも学ばせてもらい、ともに手をとって歩く、これが臨床医ではないかと思っています。 ――医師としてのスタートは 千葉大医学部を卒業して、東京女子医大第二病院の内科、神経内科に入局、浴風会病院で老年医学を研修し、学位を取得し、東京女子医大講師となりました。 私は研修中から、故郷の飯田(長野県)へ帰って老人病院を開設することが願いでした。そのために、飯田市立病院に数年勤務した後にと思っていたのですが、病院開設には数億円という自己資金が必要になります。とても多額の借金を抱えてはやってはいけません。 そこで縁あって、ここ有楽橋クリニックを開設しました。都心、銀座でいちばん小さい診療所なんです。 ――縁あってというのは? 有楽橋クリニックは、元々、慶大医学部ご出身の消化器外科の佐藤顕二先生が開業されていたんです。佐藤先生が病気で亡くなられ、紹介をうけて、私がここに内科クリニックを急ぎ開設したわけです。昭和57年(1982年〕の4月・会社の健診シーズンが始まった時でした。 全く面識のない私でしたが、佐藤先生の患者さんたちが引き続き通院してくれたのです。 嬉しかったですね……。 ――ご自宅で夜間診療をなさっているとか。 ![]() みなさんの温かい人柄に支えられて、なんとかがんばっています。時には、往診をしたり、ここ有楽橋クリニックとは違い、地域医療そのもので、地区医師会の先生方と連携してやっています。もちろん、ここでも中央区医師会の先生と連携してやっています……。 ――大学病院の医師から開業医へ、考えさせられることもあるでしょうね。 ありますね。 大学病院では大学という名声で通ってきている患者さんが圧倒的に多いのですが、開業してからは、私だけをたよって患者さんはやってきます。自分一人の責任であり、その重大性を実感しています。 大学病院に勤務していた頃は、ヒトの終末は大病院に入院させて、手厚い看護をしなければならないと考えていましたが、地域で開業してから、できれば、自宅で家族に見守られて大往生するのがよいと考えています。そのためにどれだけ力をだせるか、大きな私自身の課題ともなっています。 生老病死、その流れが自然であって、そこに健康長寿の大切さを見ることになりますね。 ――どのような病気の人が多いのですか? 表をみてください。(手持ちの表を見せながら) この表は、レセプトコンピュータで記憶されている病名から、どのような患者さんが来院されているかを見るために統計をとってみたものです。 同じ人がいくつかの病名がある場合、それらを重複して統計に入れてあります。 有楽橋クリニックは、場所柄か、生活習慣病の患者さんが圧倒的に多いのがわかります。また、ストレス社会、不眠症や不安神経症、うつ病などの患者さんも目につきます。 鐘ヶ淵クリニックは、高齢者が多い関係から、整形外科の疾患、眼科疾患、呼吸器疾患などが多くみられます。患者さんの層の違いが比較すると浮き彫りになっています。 ――生活習慣病対策は医師だけではどうにもならないことですが、 これら成人病、初期は症状がないですね。 そうなんです。進行しないと症状がでません。高血圧、糖尿病、高脂血症、高尿酸血症などの生活習慣病は、早期に手をうつことで、脳卒中や心筋梗塞などで寝たきりになることが防げます。心臓や脳の細胞が破壊されてしまって、リハビリテーション医療をうけることは大変です。 そこで、血圧、総コレステロール、HDLコレステロール、中性脂肪、血糖、尿酸などのコントロールを積極的に行って、脳血管障害、冠状動脈障害(心臓の筋肉を養っている血管〕などの予防するのがいちばんよいと私は思います。食生活をはじめ、運動、体重、など毎日の生活習慣の改善です。 ――毎日の生活習慣のなかに、大事に至らないための重要な鍵があるわけで、必要により投薬をすることがありますが、患者自身の手で病を予防することになりますね。 そうなんです。大事に至らない予防対策は、そのまま重要な治療対策そのものでもあるわけです。 |
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