死と向き合ったとき私は

連載:死は残酷か

医事評論家 菊地一久
2005/04/11

死と向き合ったとき私は・・・

年齢は40歳前後か、精悍な感じのする専門医は診断結果を説得調で開口一番こう決めつけた。
「最悪の事態は心停止ですね」
今にもそのことが発症するかのような言葉の余韻が一瞬強いショックとなって血液中をかけ抜けた。

肺結核と死

私は20歳代の始まりに、肺結核治療のため、胸郭成形術という外科治療を、今からおよそ50年前に受けた。この外科治療方法は、今日では想像もつかないもので、助骨(胸骨ともいう)を六本切除して、肺を押し潰して肺病巣を封じ込めてしまい、病気を消滅させようという物理的な外科手術である。

私の場合、肺の病巣は右肺上葉部で、その範囲も広く、その中心に結核菌によって侵食された空洞があった。
そこで一回目の手術で右肺助骨四本を切除し、一か月後に、助骨二本を切除した。
とにかく生き残って、大学にもどりたい----その一念で思い切ってこの手術を受けた。第一回の四本切除でなんとか病巣が押し潰されたかと期待したのだが、それはかなわず、さらに一か月後に二本切除した。

その後遺症として肺機能は通常の人の半分に低下してしまったが、なんとか娑婆に出ることができたのだ。

これが当時の肺結核患者であり、じりじりと迫ってくる死からの脱却であった。
こうしてなんとか元気になった。しかし、当時、漠然と私の寿命は40歳くらいまでだろうと覚悟し、常に生と死が表裏一体の毎日であった。
医師は病気から医学を学ぶが、私は病人から医学を学ぶ----テーマの選定がいずれも強い個人的、主体的な動機から発して、医療問題を社会的な面から追求しようと、私の進むべき道が、この病むことで開けた。そこには自己の内面と思想とが直接結び合い親しみが持てた。

専門医の断定

目の前の専門医は、すでに結論を出している。さらに叩き込むように胸部X線フィルム、心電図、心臓超音波検査(心エコー)などの資料を示しながら、口速な説得である。

「心カテーテル検査が必要です。心臓の左室内に筋肉が厚くなった部分があり、血流障害があるからです。……必要により、心臓ぺースメーカーも必要になるかもしれません。ここに埋め込むことになりますね……」

胸部X線フィルムを指で指しながら言った。

「お若い時に、胸郭成形術を行って肺を押し潰したことが、大きな誘因になっているのでしょうが、日頃から高血圧があったことが、この心筋異常の原因でしょう。心電図の波形がそのことを物語っています」

心電図には、たしかに左室肥大を示す波形、ハイ・ボルテイジ----(High Voltage)があった。
私も医学を学んだ人間である。もちろん、臨床医ではないが、五〇代に入り、血圧の自己管理は実施していた。朝と夜、一日二回血圧測定を行っていた。血圧値はいずれも正常値で、どちらかというと低血圧傾向である。
検査など緊張状態の中での落着かない血圧測定であり、いわゆる白衣高血圧だったのではないか。たった一回の血圧測定だけであり、深呼吸をして再血圧測定はしていない。
心電図にHigh Voltageの波形の所見があるからと、高血圧症と決めつけることに疑問を抱いた。

私はやせ型である。やせていれば心電図上に高血圧がなくても、High Voltageになるのが通常ではよくあることだ。
専門医は、心カテーテル検査を再度勧めたが、私は、その勇気がないとこの検査を断った。左心室内まで、鼠径部の静脈からカテーテルを挿入する検査には不安を感じたのである。

「今日、お薬を処方します。血圧降下剤です。服用して、もしふらつきや目まいがあったら、遠慮なく電話で連絡してください。……必要によりクラスⅠ抗不整脈薬が必要になります」

専門医は、私が医学を学んだ人間からか、抗不整脈の分類、すなわちボーン・ウィリアムス(Vaughan Williams)より、Ⅰ群(Ia、Ib、Ic)Ⅱ群、Ⅲ群とⅣ群に分けられているなかで、Ⅰ群の薬を指しているのだ。
私は友人の紹介から、今日、この専門医の前にいる。服用してほしい降圧剤の医学的根拠について具体的に示してくれない。当然、私がその内容を知っているからと言うのか。
私はこの専門医にかかってこの生命を預けていいのか、フト迷い、その思いはふくらんだ。

帰宅する車中で、私は自分でも不思議なくらい深刻さはなかった。

ただ死が、いよいよ現実の問題として目前にあることだけは強く意識した。この年齢まで生かされたことに感謝だ。死は自然であり、一人で担わなければならない実存的な課題である。その覚悟はできている。病は天国への片道切符だとよく言う。

走る電車の流れる風景を眺めていると、死はどうにもならないことだが、妻と別れる、子供たちと別れる、孫たちと別れる。友人や同僚とも別れる----この別れは辛い。この辛さが込み上げてきた。流れる風景と同化し、寂寥感だけが、やたらと込み上げてくる。---- 一日でも一時間でもいい、生きたい!そのための日常生活をどう送ったらいいか。仕事をどうしていくか。対症療法として薬を服用しなくてはならない。とにかく、生きたい。いや生かされてほしい。目の奥が熱くなった。熱さが小さな涙になった。


医学的対応はどこから

処方された薬は、β遮断薬という降圧剤である。狭心症の予防薬でもある。
専門医は、どのような治療指針をどのような医学的根拠からしたのか。
その説明はなかった。

おそらく、「肥大型心筋症」の治療指針を根拠にしているのではないかと私は推測した。詳しく調べた。

その治療指針の要点はこうである。

  • 左室の異常な肥厚と左室腔の狭小化を基本とする病態である。この病気の半数は常染色体優生遺伝形式である。
  • 原因療法はない(現在の医療では根治治療がないということだ)。きわめて多彩な臨床像と遺伝子異常を呈するので、個々の症例ごとに適した治療が必要である。臨床改善するとともに、QOL(生活の質)を高めること、突然死の予防対策が重要である。
  • 本症は予後は一般的に良好であるが、突然死のリスクが高い。そこでホルター24時間心電図検査を実施し、心室頻拍を認める例、心室細動からの蘇生例に突然死は高率である

----治療指針はかなり具体的に示されている。

私は切実な問題として、生きること、死ぬことの本質を深くきわめなくてはならない。
今日、殺人が日常茶飯である。正義の名のもとに女、子供が殺され、殺人者は神をたたえる----どこかが狂っている。
老いて病み死ぬことは、一つの生命をポイッと道端に捨てるようなものなのか。

(つづく)
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